「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ」
というのが、百鬼夜行避けの呪い語とされているらしい。
事例としては『江談抄(こうだんしょう)』に小野篁(たかむら)と藤原高藤がこれに遭遇したとある。小野篁はあの小野家、つまり小野妹子の子孫であり、また三蹟の一人である小野道風の祖父だ。あの小野小町とも血縁らしい?といわれる人物。 一方藤原高藤は、かの有名な戦国大名上杉氏の祖先にあたる人。 ちなみにうちの家系は上杉氏に仕えていたから、無関係ってわけでもない。ウチは伯楽という馬の育成を担う職業を1000年以上やっていたようだ。「馬書」という記録が父の実家の方には代々残っている、らしい。自分は見たことがないのだが。
さておき、他にも『今昔物語』には藤原常行が、『大鏡』には藤原師輔が百鬼夜行に遭遇したとある。
鎌倉時代中期に原型ができたとされる中世日本の百科事典『拾芥抄』(しゅうがいしょう)によれば、正月、2月子日、3月・4月午日、5月・6月巳日、7月・8月戌日、9月・10月未日、11月・12月辰日は百鬼夜行が出現する「百鬼夜行日」とされている。百鬼夜行に出遭うと死んでしまうといわれたため、貴族たちは夜行日を陰陽師に算出してもらい、物忌みをしていたらしい。しかしやむなく外出する際は、尊勝仏頂陀羅尼を書いた護符などを持って外出をしたという。上記の例でも尊勝陀羅尼の効験で難を逃れたとされている。
そしてまた同じく『拾芥抄』には、「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ」と呪文を唱えると、百鬼夜行の害を避けられるということも書かれている。これが件の呪文ってわけだが。
ではこの百鬼夜行というのは何だろうってことで、 少し考察してみた。
言っておくが、学術的論考というわけではないので注意ww
まずこの百鬼夜行の正体はいったい何だったのか。
自分は、これは現代で通常想像される妖怪や鬼、魑魅魍魎の類とは大きく異なっており、
つまり霊のようなファンタジックな存在としての「鬼」や「妖怪」「魑魅魍魎」ではなかったと考えている。
ロマンはあるかもしれないが、常識的に考えれば、「鬼」や「妖怪」や「魑魅魍魎」が存在するとは思わない。
大体、家の中にいたら被害がない鬼って、どんな鬼だw
ではどんな存在だったかといえば、それは
当時の貴族たちが「鬼」「妖怪」「魑魅魍魎」と呼んだ、
「当時の貴族たちにその地位に貶められた民」達の練り歩き行為だったと思われる。
今からはおそらく想像するのが難しいほどの「貴族」と「それ以外」との身分格差。
人間に対する差別でなく、そもそも人間だと認識されていない、
そんな人達が存在したのだと思う。
これは世界を見てみても珍しくはない。アンタッチャブル、そして奴隷。
白人の淑女は恥じらいもせず、奴隷の前で着替えをした、らしいしね。
同様に、貴族が「鬼」と呼ぶ、「人」とは看做さない存在がいた、ということだろう。
鬼の語源は「おぬ」と言われるが、その意は「そこにいない、いても見えない」という意味。
まさしく貴族にとって「そこにいてもいないに等しい、もしくは見えない」人が存在したのだろう。
いや、それは存在するというよりはもう溢れかえっていたのだろうと思われる。
そんな人々が、夜を練り歩く。 現在だと…反政府デモが近いイメージか?
そんな百鬼夜行が人=貴族を襲うというのは、これはありそうな話だと思う。
例えば、「この夜だけは自分たちの物だ」という強い所有意識があったのではないか、など考えられるだろう。
普段は何も持つことが許されない、陰の立場の彼らが手にする、数少ない自分たちの所有物としての夜を持つ。
その「百鬼の夜」に貴族などが紛れ込むことはとても許せない、とか。
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正月、2月子日、3月・4月午日、5月・6月巳日、7月・8月戌日、9月・10月未日、11月・12月辰日
と、1~12月まで毎月定期的にあることを思うと、「鬼」の不満の解消、
いわゆる不満の爆発を防ぐ「ガス抜き」という側面が強そうだ。
これはもしかしたら、暗黙のうちに貴族と鬼の間で認められた「ルール」なのかもしれない。
この日は、「鬼に譲る」と。貴族は「物忌み」をする、と。
そんな暗黙のルールを破った貴族の末路が…「鬼」による死の制裁でもそう不思議ではない。
ということで、改めてその呪文を考えてみると、
「カタシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ」だが、
だが、これは呪文でも何でもないだろう。
ある貴族が百鬼夜行に出会い、
「なんでてめーみたいのが出歩いてるんだ、ぁあ?」となってしまったときに、
それを逃れるために言うべきセリフが、この台詞なんだろう。
「難シハヤ、行カ瀬ニ(トッ)クリニ、溜メル酒、デ酔イ、悪シ酔イ、我シ来ニケリ」
(百鬼夜行に参加するのが)難しかったのは、行く時に徳利に溜めてた酒…で酔っちゃって、(それも)悪く酔っちゃって、俺来れなかったんだわ)
つまるところが、「俺は事情で参加できなかっただけで、本当は仲間だ。だから何もしないでくれ。今ちょうど遅れて来たんだよー。あはは…」といったところ、かな?
もうひとつの尊勝仏頂陀羅尼については話は単純で、
これは単にバチがあたりそうだから、だろう。
現代人でも、
「マネキンなら壊せても地蔵を壊すのはちょっとバチがあたりそうで嫌」
とかいう感情はまだあると思う。
当時はもっと神仏を身近に感じている時代だから、
そういう感覚は今とは比べるべくもないほど高かっただろう。
なら、わざわざその気持ちをおしてまで仏の加護を身に着けている相手を襲ったりはしない。
そういうことだったのだろう、かなー?なんて思ってみたり。
こうして事実から色々想像してみるのは楽しい。
2011年1月28日金曜日
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